らーは、仔犬の頃から人の表情や行動をよく観察する犬だった。
犬が人間の言葉を覚える仕組みは、犬のしつけの本にも書かれているので、みんな知っていると思うけれど、シンプルに言うと、犬が
”座る” という行動をするとき、「スワレ」と言う。 犬が座るという行動をすることと、人間が言う「スワレ」という言葉が結びつくようにするというもの。
座るという動作について、偶然に座る、人間が犬のお尻を少し推して促した結果犬が座るのどちらでもよい。ちなみに、手を少し人間の顔の前に持ってくると自然に座る犬もかなり多い。
指示語も「スワレ」”sit”, 「オスワリ」、「スワッテ」など、指示を出す人に一貫性があればどれでもよいとされている。
らーは、この簡単な方法で、驚くほど多くの言葉を覚えた。
犬に指示を出すときは、ひとつづつ区切るようにと私は教わってきたけれど、らーに関して言うと、一連の行動の組み合わせをパターンで覚えることが多かったので多くの指示語を組み合わせても間違うことなく、らーは応えてくれた。
例えば、1. お水を飲んで、2. タオルもって、3. 玄関に行って、4. 待っていてね と4つ指示を出すと、その通りにしてくれた。
らーが迷いなく言うとおりにするのを目撃した友人は、今でもこのことを不思議がって、らーを天才だという。 友人によると、らーはタオルを棚から取るのではなくて、手短に友人の手から奪おうとしたらしく、それも友人は記憶に鮮明だという。
右、左、前進、上、これは私の発音に工夫が必要だった、「みーぎ」「ひだ~あ~り」「ぜーんしん」「うううえ~」という具合に抑揚をしっかりつけて発音していた。なので、知らない人がみたら歌舞伎役者みたいな発声をするわたしは、かなり奇異な人だったと思う。
らーが「ほえろ」と言うわたしの指示を覚えた時のことを、今でも鮮明に思い出す。
晩酌をするわたしの足元に伏せて、気まぐれに口元に「ハイ」と差し出されるおつまみを楽しみにしている様子のらーは、わたしの動きを見逃すまいと真剣だった。
そういう状態の時は言葉を覚えるのに良い時間だった。
その日も晩酌中のわたしと目が合うと、らーが「ボフ」とわずかに吠えてわたしに「それ少し食べたい」と合図をした。「ぼふ」という声を聞いたら「ほえろ」と言いながら私の人差し指で私の口元を軽く触る動作をして見せた。
そして、らーがほしがっているおつまみ(チーズ)を、見せて「ほえろ」と言いながら、また私の人差し指で私の口元を軽く触ってみるた。らーは元気よく「ワン!」というので、すかさずチーズを、らーに差し出して、グ~~~~~っと言いながら、わたしは大喜びした。
らーは、ニヤリとした。(わかったぞ、わかったぞ、「ほえろ」わかるぞ!そういう顔をした)
そして、静かにチーズを見せて「ワン」を引き出してみた。
やはり「ワン!」と言ったので、すかさず「ほえろ」とかぶせて、グ~~~~~!!!!心から大喜びをして、チーズを差し出した。
「ほえろ」は、あっけなく覚えてしまった。
指示に手の動作をつけることについて、手の動作は、ちょっと離れた場所から指示を出したり、二人だけの秘密の会話のようにも使えたので、わたしは言葉と動作をセットで覚えてもらうことにした。