Wednesday, June 2, 2021

海遊びにお別れの日、海で出会った小さな女の子

 2015年6月頃の日記(らー坊10歳くらい)から:

夕方、らーとビーチに行ってきました。 泳ぐのが好きな、らーですが、昨日は水に浸かっているだけで泳ぎはしませんでした。 お年寄りになったのだと実感して少しさみしい。

3歳くらいの女の子が、私に向かって 「わんちゃんさわってもいいですか_?」とはっきり聞いてくれたので、「もちろん、いいですよ~、仲良くしてくださいね。」と伝えたら、ドシドシ迷わず、らーの真ん前にいき、しっかりと頭をヨシヨシとなでてくれました。 そして、まったくしつこくもせず、「わんわん、ばいばい!!」と言ってまた自分の遊びに戻りました。  すっごい。。。感動でした。

私は子供の年齢はわからないので、もしかしたらもっと大人なのかもしれませんが、幼稚園生ほど言葉ははっきりしていませんでした。 幼稚園生だとしても、あの堂々とした態度には感動です。

海から上がれないらー坊です
 

 

この日のことは忘れないです。

子供たちもわいわい泳いでいるビーチで、いつものように自ら海に入ったと思ったら、すぐに砂浜に戻ってきて、海を見つめていました。

この日記の2カ月ほど前(写真の日)、らーは、ほんの少し泳いだだけなのに、海から上がることさえできないほどヘトヘトの様子で、波打ち際に倒れ込んで動くことが出来なかったのです。「大丈夫?」と声をかけてくれた人もいた。

 

もうわたしだけで、

らーを海に連れてくるのは危険だ、

海遊びも最後かな........(涙)

そう実感して、夕暮れの海でシンミリ、ポツンとしたことを覚えています。

暗くなる前に、らーを励まして立たせて車に乗せて、帰宅できたのですが、あの日はさみしかった。あんなに海遊びが好きだったのに、もう遊ばせてあげられないなんて。

一人と一頭では仕方がないことだった。

☆☆☆☆

さて、日記に登場した小さな女の子、あれから一度も会うことはなかったけれど、あの堂々とした振る舞いは印象的で、忘れられない。

沖縄では「この犬咬みますかあ?」と質問するのが一般的で、大人も子供も、「咬みますか?」と質問してくる。

質問の意図は「犬に触っても大丈夫ですか?」であって、「咬みそうです」という悪意はまったくない。だから、わたしはほとんどの場合、快諾していた。

大人も子供も、らーに引き寄せられて興味津々、”触りたい”という気持ちで近づいてくる。

らーも理解している様子で、嫌そうでもなく、歓迎していたと思う。

 

でも、悲しいこともあったな、人間嫌になることもあったな。

それは次回書こうと思う。


Tuesday, May 25, 2021

らーの旅立ちまでの一週間を書きたいけれど

書けない..... _| ̄|○

2019年2月19日、らー坊がお空へ旅立った日から、826日目 の今日(2021/5/25)、まだ書けない。

箇条書きだけでも書いておこう。そうでもしないと、このまま記憶がぼやけて、忘れてしまいそう。


らーが急変した日から奇跡の時を過ごした。そう思う。

奇跡1. らーが急変した日のこと、長い旅から帰国した友人・まりちゃんから偶然にLineがあり、昼はまりちゃんファミリー総出のサポートを受けることになった。
お世話になったシッターさんでしたが、”らーくんが苦しむ姿をみることはできないです”ということで、まさかの降板。大急ぎで代わりの誰かを探さなくては!!!!と、大焦りしたところへ奇跡のまりちゃんファミリー登場ですから。

奇跡2. まりちゃんファミリーってその時は、全員無職だったのでした。

人間の看護師であるアイちゃん(まりちゃん家の娘)は、後続車にポンとぶつけられて、「首がいたい」ということで仕事を辞めてリハビリ中だったのです。

奇跡3. 長年闘病中だった私の父が、亡くなりました。

忌引休暇という職場のありがたい制度を利用して、仕事の心配なく、父の見送り&らーの看取りができました。

奇跡4.  らーは、忌引き休暇が終わる前に、旅立ちました。 わたしはお掃除をして、更に脱力する時間までもらえたのです。

奇跡5. らーの介護が始まったときからずっと、夜は職場同僚たちのサポートが続きました。これが本当のミラクルだと思います。みんなありがとう。

 

2019年2月8日(金)

急変、午前0時頃から、ハアハア言い出した。

朝になって病院で緊急の処置をしてもらい、帰宅。 顔のところだけ酸素濃縮器で呼吸を応援開始。夕方から少し楽そうになる。

2月9日(土)前日の治療・薬、酸素も効いて、更に楽そうに見える。スヤスヤ寝てくれた。

2月10日(日)主治医の往診。余命は1週間くらいじゃないかと。

2月11日(月・公休)少すづつ食べてくれる、突然、ボイルしたささみを3キレ食べた。

2月12日(火)お好み焼きを食べて、マクドナルドのチーズバーガーも食べ始めた。入院中の父が、危篤状態になり会いに行く。

2月13日(水)父・逝去、忌引休暇開始。パパありがとう。それに忌引休暇は正直ギフトだし、パパの仕業か(?)らーはますます穏やかに過ごせるようになる。

2月14日(木)父のお通夜。

2月15日(金)父の火葬。(沖縄はお葬式の前に火葬する)

2月16日(土)父の葬式。 

2月17日(日)父をお墓へ送る日。わたしは欠席、らーと最期の時を過せた。

2月18日(月)一緒ごろごろ寝て過ごす。

2月19日(火)旅立ち。まりちゃん家の娘・アイちゃんが看取ってくれた。まだ温かいきれいな、らーを火葬。らーがお骨になってお家戻る。

2月20日(水)らーがいない生活が始まった。応援し続けてくれた同僚も、仕事を休んでお家の掃除にきてくれた。同僚の力を借りて粗大ごみ処理場へ行った。介護で使った道具や家具を運んで大処分。お家の中は、介護の痕跡もなくなった。

2月21日(木)忌引休暇の最終日。

らーの死もやっぱりギフト、父の忌引休暇の終わりに合わせて死ぬんだもん。箇条書きじゃなくてちゃんと向き合って書く日までもう少し時間が必要かもしれない。

らーとわたし、いつも一緒



 

 

 



 

 



Wednesday, March 17, 2021

犬も老齢になると新しいことは受け入れない(ケージのはなし)

らーは、頑固な犬だった。

思えば仔犬のころから他のワンコに比べると、頑固な性格で何をするにも、同意を得なくてはならないような子だった。

だけど、ここで書きたい話は、恐らく性格が頑固であるからではなくて、老齢になると新しいことを受け入れる力が衰える、という話。

らーはドライブが大好きだった、クルマで遠出をすると楽しそうに見えたし、クルマに積んだバリケンも安全で好きな場所のようだった。 

愛車は、後部座席をすべてたたみ、超大型用700サイズのバリケンを積んでいた。

仔犬のころからバリケンに入ってきたので、病院でもホテルでも、ケージに入ってもらうのに苦労することはなかった。

(ここでは省くけど、一晩ずっとケンネルで寝てもらうには、トレーニングが必要だった)

若い頃は海に山に、毎週末何かしらの遊びをしていたので、ときにはアジリティーのようにトンネルを通りぬけてみたり、スロープを渡ってみたり、そういうことも果敢に挑戦して楽しむような犬だった。

老齢になってもドライブは好きだったのだが、バリケンの入り口に足を引っかけてしまい、躓く(つまづく)ことが多くなったので、わたしはバリケンを取り払い、らーには犬用のシートベルをしてもらおうと考えた。

同時に、もっと衰えたときのことも考えて、兄にらーが乗ってもびくともしないしっかりしたステップを作ってもらった。 


計画通り、実家にステップを受け取りにいき、バリケンは実家にあずけてきた。

(私の部屋は広くないので、使わないバリケンは実家に置いてもらうことにした)

そして、早速、らーにバリケンのないクルマ&ステップを見てもらった!


結果は、撃沈。


らーは、バリケンがないクルマを見た途端に明らかに戸惑い、ステップには前足さえも置いてはくれなかった。

オヤツ作戦、わたしが乗り込んで呼ぶ、友達ワンコと一緒に乗る、いろいろ試したけれど、どれもこれも、らーの機嫌を逆に悪くするような結果になった気がした。

ステップも、バリケンなしの後部座席も、らーにとっては新しいことで、老齢になって受け入れるのは無理なんだと思えた。

その日、片道1時間程度の実家へ再び戻ってバリケンを積みなおして帰宅した。

その途中、わたしは母のことを考えていた。

わたしの母も、家族全員を困らせるほどのピッキーで、歯磨き粉の種類が違う、石鹸がいつものものと違う、新しいパジャマのボタンが嫌だ、この下着のここが体のここに当たって気持ちが悪い、、、これじゃナイ!!元に戻して!!と言い張る人なのだ。

今日も母はナーシングホームでスタッフを困らせていると思う。

らーが、老齢になってケージがないクルマを認めないことで、わたしは母のわがまま(と思っていた)に、怒ったりしたこと、わたしが悪かった、と反省したのだった。

らー坊、出ておいで・・・

 

 

Tuesday, March 16, 2021

野菜屋のトオル、近所のみなさま、ありがとう

 らーは、頻繁にいただきものをする犬だった。

「らーくんに食べさせて」と言って多くの方が様々な食べ物を分けてくれた。

野菜屋のトオルも、何度もくだものやお野菜を分けてくれた。

ある日、帰宅したら玄関に置いてあった

らーがまだ2才くらいだったと思う。

当時、トオルさんの営む八百屋さんは、プレハブでできた仮設の小さなお店で、夕方になると近所の主婦の方でにぎわうような、非常に庶民的な八百屋さんだった。

クルマの後部にらーを載せて、トオルさんの野菜屋さんに買い物に行くと、お店のスタッフほぼ全員が、代わる代わるらーに挨拶をしてくれた。

「らーはバナナが好きなんですよ」と何気に、トオルさんに話したら、買い物の度に、こっそりバナナを袋に入れてくれるようになった。

「りんごも食べる?」と聞かれたので、正直に「大好きデス」と話したら、りんごも買い物袋に入れてくれるようになった。

そして、ある日、帰宅したら玄関に、写真のくだものいっぱいの箱が置いてあった。

トオルさんだけではない。

ゴルフ場の売店でアルバイトをしていた近所のきよみさんは、「残り物よ、遠慮なく食べてね」と言って、ゆで卵をこれでもか!!というほど、何度も何度も玄関に置いててくれた。

お散歩してたら、ファーマーさんが、お芋だの、かぼちゃだの、とにかく「これももってけ~」って、分けてくれた。

らーには安全なご飯を食べさせたかった。

でも、市販の安心安全なプレミアムドッグフードは、私の経済状態では金銭面で無理があった。

手作りごはんにするのが当時のわたしには、当然の選択だった。

成長期のらーの食欲はすさまじいものだった。中学生の運動部・男子みたいなものかな?

なつかしい。 


トオルさんのお店、今では大きなショッピングビルに入っているようです。

トオルさんのお店の商売繁盛を願っています!


Monday, November 16, 2020

らーは苦労が多い犬だった-4(缶詰を食べる事故~その4最終話)

 

過剰な医療を押し付ける院長、先端のハードウェアを使いきれていないナース、かなり危険な病院だと思った。
 
そこから、らーを連れ帰ってきて、本当に自分のやったことが正解だったと思った。
お外でゆっくりオシッコをして、私のベッドでへそ天井になって熟睡するらーの姿を見て、数日ぶりに、ようやく私も睡眠がとれた。

しっかり睡眠をとって、らーはぐんぐん回復、表面の縫合糸の抜糸は、執刀したK医師の医院にお願いした。

丁寧な縫合のおかげで、傷口はとてもきれいで、K医師も満足の出来だと言ってくれた。
急に大きくなったイボもレーザーできれいに取り除いてくれていた。

主治医の次に信頼する獣医だと思ったので、時間外の診療はK医師にお願いしようと決めた。
 
でも、らーの術後まもなく、K医師は別の動物病院の院長に就任し、小さなクリニックであるため超大型犬の受入れには十分な設備がないということで、その後は一度もお世話になることはなかった。

それにしてもあの最先端医療とかいう病院は一体なんだんだ?と、思っていたら2019年に閉院。

今、現在、もしかすると沖縄県内で、深夜24時を過ぎての急患を受け付ける動物病院はないのではないかな。
 
そう考えると、あんな病院でも命をつなぐために残っていてほしかった......

入院中
らーはよくがんばってくれた!








Sunday, November 15, 2020

らーは苦労が多い犬だった-4(缶詰を食べる事故~その3)

 

K医師に執刀してもらえたことは、幸いだった。
大型犬の執刀経験が豊富であることが明らかだと思う充分な説明を受けた。

「縫合は表に見えるのが5層目です」(確か5層だったと思う)
胃の中の写真をPadで見せてくれる、思ったより小さな缶詰の破片に見えたけど、1つだけ先端が鋭く尖ったものがあり、やはり取り出して正解だったと、自分が下した判断を正当化できる、そんな感じで納得した。

「腸は全部さわって異物がないかちゃんと確認しましたが、ありませんでした」
「缶詰の破片は全部取り出せました」

それから、らーは回復するまでの期間、その病院にいることになるだろう。
沖縄県内最先端といわれる設備の入院室やナースの動きをわたしは、何気ない顔で実は鋭く観察を続けていた。
 
そもそもナースをはじめ、K医師以外、この病院の人をわたしは全く信頼していなかったのだ。

閉院したので、ここに書くことも、もう問題ないだろう、正直に全部書く。

この病院には、1入院動物ごとにバイタルサインや点滴などの異常を知らせるモニターが設置されていて、点滴が詰まるなどの異常があるとアラームが鳴る。

ナースによっては、すぐに駆け付けて問題を確認するが、別のナースは、アラームを放置しておいて自分の都合でやってきたときにアラームを止めて問題を確認する人がいる、適切なナースと間違っているナースは半々くらいの割合だ。

入院動物の家族は、それぞれ食べなれたフードを家から持ち込んでいるので、ナースがそのフードをハンドルするのだが、フード袋の余分な空気も抜かず、きれいに閉じもしないナースもいる。

厳しい目で観察していることに気づかれないように、わたしは毎日空気のように存在を殺して、らーのお部屋のドアと廊下の間の床にぺたんと座って、らーをなでていた。
 
この病院は、残念ながら、一番大きなスペースであっても、らーが全身を伸ばすことができない。
 
微妙に長さが足りないのだった。そのため、わたしがいる間は、全身を伸ばしてあげたかったのでドアを開けて、らーに膝枕をして全身伸びた状態で過ごさせるようにしていた。
 
許される限りの長い時間を、ここの床にぺたりと座って過ごした。

らーの導尿カテーテルが外されて、お外へオシッコに連れて行ってもらえる段階に回復したときに、事件が起きた。
 
どうやら、ナースが私のリクエストを理解できていないようで、オシッコに連れ出すと、一度オシッコを出したと思えば即、連れ帰ってきてしまう。
 
らーは、何度かに分けて、ゆっくり何度もオシッコを出すので、根気強くしばらく外にいて、付き合ってあげてください。
 
そうお願いしたのだけど、感染を恐れてなのか、外の暑い気温を恐れてなのか、わたしのリクエスト通りにしてくれるナースが、恐らくくいなかったのだと思う。

オシッコを出さないのにもかかわらず、どんどん輸液が補給され続けて、らーの腕が明らかに腫れだした。

異常を察知したわたしは、獣医師にすぐに確認するように依頼、院長とやらがやってきて「腎機能に異常がでています」という。そして、この時点から輸液の補給をやめるという。

お家に連れて帰ろう、わたしが看病するほうが安全だ、そう思って「お家に連れて帰る」というと「どうなっても知りませんよ」と脅す。

「わたしの犬ですからどうなってもわたしの責任です」と言うわたし。
 
院長は呆れた表情で「計算するのでお金を払ってから、連れ帰ってください」という。
今思い出しても、許せないし”シンデクダサイ”って言ってやりたい。 

そこから精算が始まって夜の9時過ぎに、57万円くらいの金額を払うように言われ、そのとき、クレジットカードの限度額を50万円に設定していたわたしのカードでは支払えないと判明。
 
「免許証を置いていくので一部は明日にお願いします」とお願いしたら、受付の女性が「では明日迎えにきてください」という。
 
怒り心頭だが、この病院にはまだ通う可能性がある、喧嘩するのは賢明ではないと判断して、怒りを隠して、すぐに来てくれそうな知人に来てもらった。
 
「一括で支払えるクレカをもってきて」と、すぐに来たので、無事にらーを家に連れて帰ることができた。

あの人たちのおかげで、腕が腫れて、その検査の費用も請求され、更に脅されて、ようやく家に連れて帰ってこれた。
 
気の弱い飼い主だと、言いなりになって動物がどうなっていたんだろう?と思うとぞっとする。
 
お家なら好きな姿勢で寝られる

回復だって早いに決まってる







Saturday, October 31, 2020

らーは苦労が多い犬だった-4(缶詰を食べる事故~その2)

オペの前にわたしは、執刀医に質問した。

「先生は、大型犬の執刀経験はどの程度あるんですか?」と、予期せぬ質問だったのか、K医師は不思議な表情をした(気がした)が、答えてくれた。

「このグループの病院の沖縄本島中部で、大型犬の執刀はおそらく私が一番多いです。
週に平均するとx件位かな、年間にするとxxくらいで、x年勤務していますので、、、まぁ、お気持ちはわかります、麻酔の量とか小型犬と同じじゃないですから、そこの心配は要りません」と答えてくれた。