Tuesday, July 21, 2020

目標は穏やな死

介護中に、動物病院へ一人で行くことが多かった。
らーの通院には人手が必要なことと、らーにも負担をかけたくなかったので、お薬や会計を待つのをやめて一旦家に帰り、その後改めて病院に行くようにしていた。

病院の待合室の半分が、介護中の人になることも多かった。犬も猫も長生きになり、介護期間も長くなる傾向があるのだと思う。

「介護疲れで孤独だ」という女性に出会った。「誰にも言えないけれど、正直もう死を願っている」と淡々と抑揚のない声で話してくれた。

わたしは、死を願うことがいけないことだとは全く思わない。 

死を願うのには、理由がある。
生きている限り、痛みや苦しみが起こらないと、誰も保証なんてしてくれない。これまで経験した以上の、痛みや苦しみだって、起こり得るのだから。

苦しむ姿を見ると、嘘もなく本心から代わってあげたいと思う、でもそれは絶対にかなわない。痛い、苦しい、そんな時間を耐えて、生きるということに一体命になんの意味があるというのか、わからなくなってくる。

お金がいつ底をつくかわからない、自分自身が過労で病気になるかも知れない、職を失うことも考えられる、今日助けに来てくれた友人知人が、来月も、一年後も同じく助けてくれるかわからない。

昨日よりは穏やかな呼吸をして、寝ているらーを撫でながら、今、死んでほしい、わたしが見ているよ、今、穏やかに旅立って、お願い、わたしは、何度も思った。

らーが死んだら、わたしも死んでもいい、らーより先に死ぬことだけは絶対にあってはならない、らーの死を見届けること、それがわたしの目標だったのだから。 
早く、目標が達成できますように、と願うこと、悪いと思わない。

でも、本当に伝えたいことは、死は必ずやってくる、という事実。目標は達成できる、という事実。願わなくてもその時は必ずやってくるから、そういうことを伝えたい。

October 2009
こんな日もあったね
遊び疲れた二人